在宅被災者(在宅避難者・自宅避難者)とは?
東日本大震災によって各地でたくさんの避難所が設けられましたが、その避難所に居場所を確保できず、やむを得ず被災した自宅に戻って避難生活をした人たちがいます。時が経ち、被災者の生活場所が避難所から仮設住宅に移ってからも、仮設住宅には引っ越さず、自宅での生活を続けた人たちがいます。彼らを在宅被災者と呼びます。
在宅被災者は在宅(自宅)避難者、2階生活者、ブルーシート族などの呼び方で、新聞、メディアでも度々紹介されてきました。東日本大震災で初めて大量に生まれた被災形態とも言われています。
在宅被災者は災害救助法や災害対策基本法で想定されていない被災形態だったために、長期間にわたる支援活動の中で、その扱いは被災した各自治体の判断に委ねられる形となりました。
これは災害救助法の権限が都道府県知事にある一方で、災害対策基本法の責任が市町村の各首長に委ねられている「ねじれ現象」に起因します。時間が経てば経つほど各自治体の責任は重くなっていきました。
この問題を語るとき、石巻市は批判の的とされますが、反面、宮城県で唯一、在宅被災者の存在を認めて数々の施策を打っています。その施策の失敗を批判されているに過ぎません。
他の自治体はその存在を認めず、または認識しながらも有効な手を打ちませんでした。これによってもみ消された悲鳴があったことは真実であり、忘れてはいけません。
石巻市で民間団体が行ったアセスメント調査によって、在宅被災者は推定12000世帯いると言われていて、チーム王冠でも宮城県全域で2700世帯以上を認識しました。2011年の内閣府ボランティア連携室でも度々議論され、JCN(東日本大震災支援全国ネットワーク)の議題に何度も上がりながら、実はその定義すら定まっていません。これまで公的な機関できちんと調査されたことがないことも大きいと思います。内閣府の防災担当は復興庁が管轄だと言いますが、復興庁はその存在も「在宅被災世帯」という言葉も知りません。
2014年(平成26年)6月、災害対策基本法が改定されました。大きなポイントは2つ。ハンディキャップを持つ障害者に対するケア、福祉避難所創設に関することと、避難所に避難しない在宅被災者に対する支援に言及した点です。
一体誰が、何の目的で法律を改定したのでしょうか?あの頃は民主党政権だったからと現与党議員は言いますが、この法律の見直しを決めたのは平成25年当時の内閣府であり、現政権です。つまり現政権与党は、東日本大震災で問題があったことを認めつつ、法律だけを改定し、法律は過去に遡らない「法の不遡及」の原則を逆手に取ってだんまりを決め込んでいるのではないかと勘繰りたくなる状態が2015年1月現在です。
何故、在宅被災世帯は被災者として扱われず、支援を受けられなかったのか?
1.前例がなく、どう対応するべきかの判断が、混乱する各自治体任せになった。
2.災害対策基本法などの法律は、在宅被災世帯を想定していなかった。
3.災害規模が大きく、現場の判断で優先順位が下げられた。
4.前例のない在宅被災者を支援する民間の支援団体に活動費が出なかった。
5.時間だけが過ぎて行き、支援するべき判断材料がないまま置き去られた。
簡単に説明できる問題ではありませんが、多くの人に認識してもらい、将来のために大いに議論していただきたいと思います。そのためにも、現状をしっかりと把握しておくことは重要です。将来、広域で現れる可能性のある未知の被災者を、各自治体任せにしておくことは間違っています。
東日本大震災を含めた過去の震災を語るとき、時々、「自ら選んだ道」「自己責任」という声を聞きますが、一度立ち止まって想像して頂きたい。あなたが自分の地区の指定避難所に入れないことを。
地域全体が被災して数千、数万人が同時に被災者となった場合、あなたの地区の避難所は全員を収容できるでしょうか?また、例えば障害者を家族に持つ人はどうでしょうか?要介護者、持病を持っている人は?ペットを飼っている人は?数百、数千の人が雑魚寝せざるを得ない中の一人になることをあなたは想像できますか?
まだ不安はあります。かろうじて残った、被災した家屋から大事な財産を盗まれる恐れがあるとしたら、あなたならどうしますか?
そこには現場にいなければ、被災者にならなければわからない背景があったことを想像してほしいと思うのです。
現在進行形の被災者
断言します。在宅被災世帯は東日本大震災の被災自治体すべてに存在しています。宮城県だけを挙げても、仙台市、名取市、岩沼市、山元町、亘理町、多賀城市、塩釜市、七ヶ浜町、東松島市、女川町、南三陸町、気仙沼市、そして石巻市。玄関のドアもない、壁のすきまから雪が舞い込む家、床の無い家、鍵がかからない窓、雨漏りが止まらない屋根、壊れた湯船、落ちた天井、ぶよぶよの床、カビの生えた壁・・・。これは2011年の話ではありません。2015年の今日を生きている在宅被災世帯、サイレントマジョリティの話です。
血縁者が面倒を見るのは道理ですが、たった三千円の支援を子供たちに乞うただけで親子の縁を切られていのが被災地で起きている現実です。ストーブを支援されたけど灯油が買えない。病気が体を蝕んでいるけどお金が無くて病院に行けない。1日3食どころか2日を1食で耐えている。津波で濡れた畳を捨てダンボールを敷いて暮らしている。雨漏りを直せず雨のたびに車で寝ている。泥出しが出来ずに家屋が腐り、カビ臭のする中で暮らしている。そういう人たちが現実としてまだまだいます。
支援を受けられない在宅被災世帯やみなし仮設(借り上げ仮設)の人たちの悲痛な思いに触れるたびに、阪神淡路大震災の悲劇から学んだプレハブ仮設(応急修理仮設)への支援は正しいと思うことができます。
今、この悲劇を見過ごせば、将来高い確率で起こると言われている大地震、大津波の被災者が、また同じ苦しみを味わうことになるのです。
2015年1月
東日本大震災は被災者の中では現在進行形です。そして、多くの被災者にはまだ終わりが見えていません。
一般社団法人 チーム王冠 代表 伊藤健哉